オオミズアオの想い出
お盆の頃、ヒグラシの蝉時雨を聴きに高尾山を訪れるのは年中行事ですが山頂で見つけたのは・・・
山頂のベンチ横の下草でオオミズアオが羽化して翅を伸ばしていた。とても目立つ。こんな人混みで、とは思うが気に留める人がこれ程少ないというか見向きもしないのには驚いた。まあ、当方は気に留めすぎかも知れない。翅が乾くまでは飛ぶこともできず無防備なことこの上なく、鳥に見つかったらそこで一巻の終りなので、そういう意味からは人が多いのもかえっていいのだろう。
↓ こんなところで・・・
↓ 1時間ほどして戻ってみると開翅していた
↓ 羽化直後なのにまるまるとして、「胴体太くって気持ち悪い!」などと言うなかれ! これがメスだから、というわけではなく、この蛾の成虫には口がない、退化してしまっていて飲み食いできずに一週間ほどしか生きない。この間に相手を探して交尾して種族保存を達成しなければならないというのだから生きがいもへったくれもなさそうではある。オオミズアオが属するヤママユガの仲間やカイコも幼虫(イモムシ・ケムシ)時代には口があり暴食して生涯分の栄養を体内に貯え、羽化してからの限られた時間を、飲み食いなどに費やさなくとも良いよう造物主に設計されている。
オオミズアオにまつわる懐かしく悲しい想い出を一つ。米国の建築家で公私共々親しかった友人がいる、いや、いた。仮にマイクとしておこう。ハワイ在住でホテル設計では日本で多くの実績があり頻繁に日本に来ていたが東京のみならず大阪、神戸、京都など一緒に出張し、また、私も何度かハワイに出張し随分飲み、随分食ったことが思い出される。もう10年以上前に遡るが、メールに写真が添付され友人から訊かれたんだがこんな蛾知ってるか? というので見るとオオミズアオ。早速、名前やウィキペディアなどのURLもつけて、ご丁寧にウィキの写真が余り良くなかったので自分で撮った写真まで添付して返信した。数日後のメールでお礼と、実はガンの治療を開始していてこのところ事務所も休みがちである、予定では3ヶ月ほどで復帰するのでまた行くよとのことだった。
そのころ私自身も会社を変わったりして、その後、交信がほとんどないまま過ぎていたが、ある日突然、東京に来てるから新橋の「いきつけ」の寿司屋で会おうと電話があり、久しぶりに他に客もいないカウンターで昔話に花が咲いた。ほんの少し痩せたかなという程度で元気そのものだったので一安心して、マイクはホテルオークラへのタクシーに乗り、またな!と力強く握手して別れた。
それから半年して届いたのは訃報。病とは縁がないようなタイプだったのでちょっと信じられなかった。結局、気を取り直して奥さん宛に、お悔やみにマイクとの写真集、それにオオミズアオのやりとりと私が添付した写真などつけてメールした。奥さんから返信がありこんなことが書いてあった:
In Hawaii, the departed spirit comes to visit for 30 days in the form of a moth or a bird. Each day I have had a moth visit. So your letter arrived on the 30th day with the beautiful Oomizuao-moth email attached . It is especially meaningful to me to have this moth that went to you as a dear friend, to arrive again back to me to complete the circle. It brings us all together. Thank you.
(ハワイでは旅だった魂は30日の間、蛾や鳥の形となって来訪します。毎日のように私のところには蛾が来ました。そして丁度30日目に美しいオオミズアオの写真が添えられたあなたのメールが私に届きました。この蛾が、親友のあなたのところに行って、そして再び私のところに戻って一つの輪を完了させたことにはとても感慨深いものがあります。みんな繋がっているのですね、ありがとう)
そういえば、昨日8月16日は京都の大文字(五山)送り火。幼稚園までと大学の計10年しか住んでない京都ではあるが何もかもいい想い出しかない。毎年記事に添付している大文字(如意ヶ嶽)の写真を今年もつけます。(アーカイブ 1973年8月16日 及び 1973年1月12日)
後期高齢者になると人生を深く振り返りますね。特に友人のことは。
僕の友人の一人に今年初め再会したのですが、心臓の病をもっています。
来年会うつもりですが、蝶の時間ほど短くないけれど、時を考えなければ。
蝶の可憐な姿をみると「はかなさ」ばかり感じてしまします。
神戸でRyutarou sanの「8分のピアノにかけた2年」を僕も実践し始めました。
42.195kmを8時間で、と、10年前書いたRichterに関する小文の仏語訳です。
奥さんが驚いています。
特に後者はPinkFloyd聞きながら、AI翻訳使うとあっけないほどですね。
でも、山中で蝶を探すという時間と探究心は後期高齢者には大切なので、
僕も見習いたいと思っていいます。
SHUNJI さん
コメントありがとうございます。
ピンクフロイトの「原子心母」、ELPの「展覧会の絵」、イエスの「危機・こわれもの」は当時の私の貴重な宝物でした。
昔、京都の4畳半の下宿で酔っ払って聴いていた原子心母を、今2畳の書斎で相変わらず酔っ払って聴いていると(狭くなってる!)その間、いろいろあったはずなのに余り成長していない自分を感じます。
8桁電卓から始まった社会人でしたが、このところCHATGPTにどっぷりで、成長したのは自分ではなく取り巻く科学技術だったに過ぎないのでは?と自問自答しております。