ルーヴルと私 怖い話

パリに行ってルーヴル美術館を訪問しなかったことはありません。何度訪れても感激を新たにするのですが、その中でも特に忘れられない思い出をひとつ・・・

またまたパピヨネスク(「別の話題に蝶のように飛ぶこと」と勝手に定義しています)して恐怖体験談です。以前、マンション管理組合のサイトに投稿した記事を一部加筆修正したものです:

ルーヴルが好き

今まで何度行っているのだろう?と振り返るとその昔ベルギーに駐在員として暮らしていた数年間には2回行っただけなのに、帰国してからは出張や旅行でフランスに行く度に必ず訪れているので少なくとも15回くらいは行っていることになります。概ね、ルーヴルが古代から1800年代半ばまでの作品、オルセーがそれ以降、第一次世界大戦勃発の1914年までの印象派・ポスト印象派を中心とする作品、ポンピドゥがその後の作品というように時代で区分して各美術館で展示されていますが、オルセー5回、ポンピドゥに到ってはただの1回だけと訪問回数に大きな差があり、私はルーヴルファンなのです。ピラミッドから入館して、サモトラケのニケの像に続く階段を目の前にすると、「ああ、またやってきた」という感慨に浸るのですがこの階段を上ってしばらく人の流れに乗って進むと自動的にモナリザの部屋に至ります。常にひときわごったがえしていて、みんなある種の興奮状態で人混みのスキマから絵を見よう、スマホで撮ろうと必死です。私の場合はモナリザを遠目に確かめてから、その部屋が位置するドゥノン翼からシュリー翼、リシュリュー翼とヨーロッパ絵画を中心に巨大迷路のような美術館を延々と見て廻り4~5時間を過ごします。見たことのあるものばかりのはずなのにその都度新鮮な感動と、顔見知りに再会したような親近感を覚えます。

モナリザと過ごした時間

随分昔ですがパリに3週間ほど休暇で滞在した折に、フランス人建築家の友人と何日か過ごしたことがあります。彼が設計している住宅の工事現場を訪れ、また、クラシックな迎賓館の修復工事の現場会議にも出席(単に友人というだけの立場)したのですが、その時にルーヴルでも改修工事の設計をやっているので現場会議に出てみるかい?ときかれました。普通ではあり得ない話なのでもちろん答は「ウィ!」です。ルーヴルでのこのような会議、展示品の移設作業などは、夜間あるいは休館日である火曜に行われることが多いようで、彼は私のために火曜の業務用入館パス(当日限り有効)を取得してくれました。火曜、入口のピラミッドから二人で入館、誰もいない館内を改修計画について説明してもらいながら進みモナリザの部屋まで一緒に行くと、「もし特に会議に興味がなかったら館内を散歩していてもいいよ」と言われ、本音のところ会議で一人ポツンと座っていてもそれほど面白くはないのでそれに飛びつきました。かくして私は部屋に残り彼は会議に向かいました。

それからモナリザ(フランスでは“ジョコンド”で通っています)を目の前で眺め、ある意味では対話してたっぷり1時間以上、他には誰もいない、一人きり、いや二人きりで時空を越えたひとときを過ごしました。その後、部屋を出るとイタリア絵画の廊下で同じくレオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」の撮影作業を何人かでやっていましたが、それ以外は誰もいませんでした。喧噪に満ちたいつもの雰囲気とは別世界の静寂と孤独に包まれます。

怖い話 

そんななかでふと、シュリー翼の3階にあるジャック・ステラ(17世紀のフランスの画家)の何枚かの絵を見たくなり、ドゥノン翼の隣に位置するシュリー翼を目指しました。ところが、無人の館内をずいぶん歩いた末に何かがおかしい・・・ちっとも目的の方に向かっていないのに気がつきました。こんな展開になるとは思ってはいなかったので館内マップも持っていません。ただ、館内の表示は至れり尽くせりで、現在位置と方向は示されている、例え迷ってもあちこちにピラミッドマークがあり、それに従えば全館の中央に位置する入口のピラミッド地下部分に簡単に出られるはずなので焦る必要はないのですが、さらに進んでいくうちに完全に迷っていることがわかりました。とたんに恐ろしくなりステラの絵はもうどうでもいいからとにかく出たい・・・

ところがピラミッドマークの標識のあるいくつかのドアがロックされていて開かず、廊下なりに暗い館内を進まざるを得なくなり、巨大な迷路なのか、それともそれよりもっと恐ろしいものではないのかと無人の美術館の恐怖に怯えました。「ナイトミュージアム」という、夜になると博物館の展示物たちが動き出すという荒唐無稽な映画がありましたがそんなことまで思い出す始末。さらに、古い展示物の中には昼間は観客たちの喧噪の中でおとなしくしているものの怨念を抱えたものも少なくないのでは?そして、あろうことか進行方向の先の表示を見ると「古代エジプト」、こんな時には一番近づきたくないところですが、今更戻るわけにも行かず走り抜けるようになんとか無事通過、そこからやっとのことでピラミッドの明るい地下部分がまるでトンネルの出口でもあるかのように廊下のずっと先の方に見えて全身から力が抜けるほど安堵した時までは余り記憶が定かではありません。至福と恐怖がみごとにセットになった一日でした。

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