追憶のクモマツマキ その1 一枚の写真から
クモマツマキチョウ、このオレンジ色が魅力的な高山蝶は私にとって芋づる式に追憶を呼び起こす不思議な存在であることがわかりました・・・ mats
1)ロワール川の古城
多摩川にいるのはツマキチョウですが、クモマツマキチョウは高山に生息しています。高山系の蝶や花の名前は接頭語がミヤマ(深山)XX ⇒ タカネ(高嶺)XX ⇒ クモマ(雲間)XXの順でだんだん生息地の高度があがります。ところで、上の少し古い写真はまぎれもなくクモマツマキチョウですが、実はフランスのアンボワーズ(Amboise)というロワール川の古城のそば(平地)で撮影したもの。20代後半、商社の駐在員としてベルギーのブリュッセルに転勤して生まれて初めてのフランス語に悪戦苦闘していたころで、貿易部門ではなく不動産開発という地場の仕事柄、事業会社の現地社員も仕事の相手も殆どフランス語しか話さないという別世界でもがいていた中、5月に休みを取って車で古城巡りをしたときの一コマです。
高山蝶がこんな平地にいるのには緯度が関係しておりアンボワーズは北緯47度で日本の稚内(同45度)より更に北に位置します。2000m級の山々からなる大雪山の高山植物の中には、本州では3000m級の山でないと見られないものも多いのですがこれも緯度が関係しています。蝶については種類も数もそれほど多くはないヨーロッパで、日本では「高嶺の花」ならぬ「雲間の蝶」の存在で、図鑑以外では見たこともなかったクモマツマキを目のあたりにして感激というより驚愕しました。さらにもう一つ全く別の大発見:10近い古城を次々と巡ったのですがそれぞれのシャトー専属のガイドたちが話すフランス語の美しさ、これは毎日ベルギーで聞いているフランス語とは別物、一種の音楽か?(残念ながら説明内容は半分以上理解不可能でした)と思ったほどです。後で知ったことですが、それもそのはず、このあたりがフランス語発祥の地域なのです。この衝撃はともすると余りの前途遼遠さに落ち込みがちな言葉に対する学習意欲を再燃させてくれました。因みにベルギー人のフランス語は余り美しいとは評価されていません・・・
蝶の写真を撮るようになって、このクモマツマキはいつも頭の片隅にありました。ただなんとなく平地で飛んでいるイメージが強すぎ、日本では貴重な高山蝶とはいえ、わざわざ山に登ってまで・・・となんとなく避けてきていたのです。ところが、最近蝶の撮影の機会も増え、いろいろな蝶のサイトなどでその可憐な姿を見るにつけやはり日本で見てみたい、そして撮ってみたいとの思いが急速に強くなりました。「思い立ったが吉日」、丁度6月5日(土)は珍しく学校(相変わらず週末の通学でフランス語の勉強を継続中)が休みなので土日で長野に行くことと決め目的地は情報を集めた結果、信濃大町から山に入いった扇沢周辺にしました。
2)鹿島槍ヶ岳
↑ 大糸線車窓の眺め:左より鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、八方尾根
6月5日早朝出発、南武線・中央線・大糸線を乗り継いで信濃大町に向かいます。松本で乗り換えた大糸線の車窓からは雪渓が残る北アルプスの後立山(うしろたてやま)連峰の山々が見渡せ、信濃大町に近づくと鹿島槍ヶ岳がその特徴ある双耳峰(ピークが二つある)の美しい姿を見せてくれます。
鹿島槍ヶ岳(2889m)・・・ロワール川の古城巡りからさらに遡(さかのぼ)ること10年、学生時代は夏山登山に熱中し槍ヶ岳だ、穂高だ、大雪山だと次々と登っていました。写真の左半分を占める双耳峰が鹿島槍ヶ岳で右に、五竜岳、唐松岳、八方尾根と続いていますが、その逆のルートで大雪渓を詰めて登った白馬岳(2932m)から南に向けてこれらの山々を縦走しました。その中でも終着点の鹿島槍ヶ岳は特に印象が深く、また、その頂上から見た剱岳(2999m)も異様なほど存在感があり双耳峰の二つの頂を結ぶ吊尾根から長い間その姿に見とれていたのを記憶しています。
↑ 鹿島槍ヶ岳の吊尾根にて。背景は剱岳
↑ 鹿島槍ヶ岳頂上
3)扇沢へ
信濃大町で下車し、今度はバスで最終目的地である扇沢に向かいます。立山黒部アルペンルートの拠点となる扇沢は標高が1433mで、鹿島槍ヶ岳の南に位置する爺ヶ岳(2670m)に源流を発する大きな沢です。
かくして、いよいよクモマツマキを探しそして撮影なのですが、追憶が拡がり長くなってしまったので撮影記事は次回に送ります。随分時間が経った昔のことながらその頃の目に焼き付いた景色、或は受けた衝撃は脳の片隅に格納されているらしくなんらかのきっかけで実になまなましく蘇ってくるのは不思議です。因みに週末の学校で今取り上げられているテーマは「記憶力」であるので、一枚の蝶の写真から始まる追憶の連鎖はなかなか面白いケーススタディーでした。