ノートルダム大聖堂 ステンドグラスほか
あっという間に1月もほぼ終り・・・昨年末以来、クリスマスプレゼントにしては酷すぎる首痛に始まり、その後3日おきくらいで左、右の腰痛が加わり殆ど寝ていた正月が明けて整体に湿布を貰いに行った帰路に、突然左アキレス腱に痛みとともに少し腫れが出て歩くのが少し苦痛に(原因不明)・・・と、3~4年分くらい纏めてあちこち不調となりこのひと月の間は殆ど活動どころではなく随分凹んでおりました。漸く首腰は完治し残るはアキレス腱、まだ少し痛むのでリハビリも兼ねて裏の多摩川を短時間散歩したりしています。
ところで、通っている仏語学校のアートの授業で昨年末に完成セレモニーを行ったノートルダム大聖堂の修復工事にまつわる話題が非常に面白かったのと、丁度、お台場で「パリ・ノートルダム大聖堂展」をやっているので少し遠出して(といっても殆ど電車に乗っているだけ)見てきたので2~3回番外でアーカイブ画像を混ぜて書いてみます。
火災が起きたのは2019年4月15日で修復工事をしていた尖塔周辺から出火し原因は漏電とかタバコとかの可能性はあるが不明らしく結局、尖塔及び屋根の三分の二が崩壊消失。4月16日未明にベルギーの友人リンダから「C’est une catastrophe ....(カタストロフィだ)」と悲痛なメールが入っているのを朝起きて確認したが、時差7時間なので出火後しばらくしてからのニュースでいたたまれなくなって知合に打ちまくったのだろう。
5年で修復するとのマクロン大統領の宣言は見事に達成され真っ白な印象に生まれ変わった内部を確認でき昨今いいニュースなど殆どない中では気分が和らいだ。修復には250社、2000人が携わったとのことで専門技能各種がそれぞれ力を発揮し、工期遵守の概念など余りないような気がしていた(ベルギーに不動産・建築の仕事で駐在していた際には「C'est pas ma faute ! 私の責任じゃない」ばかりをみんなそれぞれ口にするのでいい加減いやになっていたのを思い出す)ので、国の威信か、各人の技量に対する矜持のなせる業かはわからぬがいずれにせよお見事。トップは2013年7月7日と記録のあるステンドグラスのバラ窓で北側の袖廊と呼ばれる部分の壁面にあり、袖廊の反対側(南)及び正面の西側ファサードと合せて3つのバラ窓がある。
尚、火災ではステンドグラスは被害を受けず全て残ったのに、これを現代風な新しいものに入替えて、現状のステンドグラスはこれから作る「ノートルダム博物館」に展示するという方向でマクロン大統領がかなり強引に進めているらしくフランス国内でも随分物議をかもしている。個人的にもおかしな方向というか、あり得ないと思うがいったいどう決着するのだろう?
↓ 北バラ窓の周囲(同日撮影)
↓ 南のバラ窓(同日撮影) ベルギー駐在時に初めてノートルダムを訪れた際に、その空間とバラ窓に感激、圧倒されてポカンと上を見上げていたら、男女の子供7~8人に取り囲まれ新聞を見せられながらしきりに何か叫ばれているうちに、突然、さーといなくなったので、ふと胸ポケットに手をやるとやられていた。今時こんな絵に描いたような古典的なパターンでジプシーの少年少女スリ集団の被害にあう人はいないだろうが随分昔であり、まるでそんな知識はなかった。パスポートだけは幸運にして残っていたものの財布(IDカードなるベルギーの身分証明書、クレジットカード、現金)がなくなったお陰で、警察に行って被害届だ、ベルギーに戻ってからの役所手続だと極めて煩雑だった。余り思い出したくない話・・・
↓ 西側正面。この面のバラ窓は南北に比べ少し小さめ(2010年6月22日) 次回に続く